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全ての道はバスケに通ず

【読書感想】ファクトフルネス

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タイトルのファクトフルネスとは、「事実に基づいて世界を見る」ということ。今あらゆる統計がインターネット上でいつでも閲覧出来るため、それは容易いことに思われているかもしれない。しかし、その分野の専門家も含め、大多数の人々が正しい情報を把握できていないという。なぜ「事実に基づいて世界を見る」ことが難しいのか、本書ではそれを困難にしている人間固有の本能に焦点を当て、一つずつ紐解いていく。

著者はこのような人間の本能を、「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼ぶ。この「ドラマチックすぎる世界の見方」を回避し、「事実に基づく世界の見方」に近づくことが本書の要諦である。その意味では、本書は心理学の本に近いところがある。もちろん世界に関する沢山の有用なデータを知ることが出来る。しかし、人が本能的に犯してしまう典型的な認知エラーの傾向を知り、その結果、より人間(=自分)を知ることこそ本書が最も意図するところである。人間を知り、その知識を適用することでが「事実に基づいて世界を見る」第一歩目になるのだ。本書を読むことで、データを見るときだけではなく、自分自身の判断1つとっても、一歩引いた目を持つことが出来るようになるはずだ。

コロナウィルスの影響もあり、世界がとても不安定な状況である。このような状況下では、嘘や噂に惑わされず、正しい情報を見定めることはより重要になってくる。奇しくも明日はエイプリルフール。本書から正しい情報を見定める知恵を得てはいかがでしょうか。

 

本書でとりわけ気に入ったパートがあったので、以下引用します。

朝、顔洗うときに蛇口から温かいお湯が出てくると、奇跡のように感じることがある。奇跡を起こしてくれた人たちに、私は心の中で感謝する。配管工の皆さん、ありがとう。そんな感謝スイッチが入ったときには、何を見ても感動して、誰かれかまわず感謝したくなる。公務員、看護師、教師、弁護士、警官、消防士、電気工事の人、会計士、受付係。社会の土台になる様々なサービスの網を作ってくれているのは、こうした名もなき人たちだ。物事がうまくいっているときに称えるべきは、この人たちなのだ。

2014年に私はエボラ出血熱を戦うためイベリアに向かった。もしここで止めなければ世界中に広がって、10億もの命が犠牲になり、歴史上のどんな感染症よりも大きな害を及ぼすと思ったからだ。死に至るエボラウィルスとの戦いに勝てたのは、強いリーダーのおかげではないし、国境なき医師団ユニセフといった有名な組織のおかげでもない。何もなく普通の政府の職員や地元の医療スタッフが、地域活動を通じて、古からの葬儀の風習をほんの数日で改善したからだ。彼らが命をかけて死に賭けて患者を治療したからだ。面倒で危険で細かい作業通じて、エボラ患者と接触した人たちを突き止め隔離したからだ。社会を機能させている、勇敢で辛抱強いたちが注目される事は滅多にない。でも、本当の救世主はそんな人たちだ。(p.278)

 

今こんな状況だから著者と同じように感じる人は多いのではないだろうか。僕は東京で生活しているから、特にそう感じる。「自分の力だけでは絶対に生きていけない」と。他の誰かが水を供給し、下水を処理し、食料を生産し、運んでいるからこそ、この東京という大都会で、明日の食料も心配せずに暮らすことが出来るのだ。だから、コロナ禍においても普段と変わらず生活に不可欠なものを供給する仕事に従事されている方々には、この上ない感謝を申し上げたいのである。ありがとう。

そして僕は何もすることが出来ないけれど、家で静かにしていることで社会の救世主たちの邪魔をしないようにしたい。在宅勤務可能な社会人や、暇な学生達も邪魔すんじゃないっすよ。

【読書感想】アフガニスタンの診療所から

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昨年12月にアフガニスタンで襲撃され亡くなられた、医師の中村哲さん。ペシャワールに赴任した1984年から1993年における現地での活動の様子を綴った本である。恥ずかしながら、僕は中村氏のことを亡くなるまで知らなかった。中村さんが亡くなったときに、現地の人たちが悲しむ様子をテレビで見て、その活躍を知った。

今回本書を読んだ理由は、今世界中を騒がせているコロナウィルスだ。コロナウィルスの蔓延が恐れられている理由は「医療崩壊」を招かないためとあるインターネット記事で読んだ。若い人は自分はかからないと思っているし、かかったとしても治療を受けられると考えている。しかし「医療崩壊」起これば、が当たり前に受けられると思っている治療を受けられなくなってしまう。そして、すでにヨーロッパではそれが起こっていることだ。

本書を読んで、「医療がまともに機能していないとどうなってしまうのか」ということが理解できた。本書の要旨は、中村さんが医療サービスをパキスタンアフガニスタンの農村や難民に広めていく過程だ。農村や難民には金銭面及び地理的な問題で最低限の医療サービスすら受けられない人が多くおり、治療と薬さえあれば治る病気が死に至る病になってしまうことがある。中村さんが赴任していた場所はもっと過酷だったと思うが、仮に「医療崩壊」が起これば先進国でも通常の治療が受けれられなくなり、本来であれば生きながらえる人でさえ、帰らぬ人になってしまう可能性が出てくる。だからこそ、本書は今読むべきなのだ。

そして僕の心に刺さったのは、後半の国際協力と日本について書いてある部分。

アフガニスタンでの生活に馴染んだ中村さんは10年経って帰国した際、大きな違和感を感じたという。日本は近代化の渦の中で、物質的な豊かさと引き換えに、大事なことを失ってしまったのではないかと。僕も文章を読みながら、「本当の豊かさ」や「正義」とは、一体何であるのか、誰が決めているのか、と考えていた。

僕も気づかないうちに国際化=西洋化と刷り込まれていて、矮小化された「グローバル教育」を受けてきた。しかし本書を読んで、国際社会は二元論では語れないし、決して単純化出来るものではないということを感じることが出来た。本書が上梓されてからすでに27年が経っており、テクノロジーの進化もあって世界は大きく変わっている。しかし、その場所にはその場所の生活があり、文化・伝統・アイデンティティがある。日本人として生きてきた僕のモノサシだけでは絶対に世界は測れないし、普遍的な善は存在しない。これだけはちゃんと覚えておきたい。

最後に、以下の文章が非常に僕の心を打ったので引用しておく。グローバル社会を生きる現代人が忘れてはいけない重要な考えだと思うからだ。

少なくともペシャワールでは、、もっともよく現地を理解できる者は、もっともよく日本の心を知る者である。自分のを尊重するように相手を尊重しようとするところに国際性の真髄がある。西欧社会だけが国際社会ではない。 (p.184)

朝のスタバにて

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休日にも関わらず、今日は6時前に起きた。7時過ぎに、開店直後の駅前スターバックスに来た。ドリップコーヒーを注文。二杯目150円で飲めるから。今、こうして文章を書いているのは、ノスタルジックな気分になっているからだ。朝のスタバで思い出すのは、留学中に夜行バスでサンフランシスコからロサンゼルスに行った時のことだ。LAダウンタウンの、奇しくも僕が今働いてる会計事務所のLAオフィスのビルだったから、忘れることはないだろう。

携帯電話の充電とトイレのためによくそのスタバには立ち寄った。スタバとりわけ好きではないが、この店舗の雰囲気の匂いで僕と同じように過去を思い出す人は多いのではないだろうか。それがきっとスタバの強みでもあるし、ブランドということなんだろう。そんな感じで、今日も一日やるべきことをやっていこう。

【読書感想】人に強くなる極意

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読書の目的

どうすれば対人関係が強くなるのかを知りたかった。

 

内容

①怒らない・②びびらない・③飾らない・④侮らない・⑤断らない・⑥お金に振り回されない・⑦あきらめない・⑧先送りしない、の8つを「人に強くなる極意」とし、それぞれに著者の経験と意見、そして対応策が書かれている。

 

1.怒らないについて

怒る必要があるのは①嘘をついたとき②事務的なイージーミスをしたときの2つ。著者は外交官時代に、部下の嘘と事務的なケアレスミスと大きな外交問題に発展しかけた経験がある。それ以外の時に怒らない為にはどうするか。それは自分の怒りの出所はっきりと捉えること。しかしこれには経験が必要である。その経験は、良い小説や映画を通じて、他人の人生を疑似体験することで積んでいくのが良い方法。また芸術に触れること自体にもストレスを昇華させる力がある。芸術には昔からそのような役割があった。

 

2.びびらないについて

まずは何にびびっているが明確にすることに努める。人は得体の知れないものに恐れを抱く。自分を見つめ何が怖いかをしっかりと自覚する。そして次に相手を内在的論理を理解する。著者は外交官時代、相手の内在的論理の理解にフィクションでの代理経験が大いに役立ったみたいだ。商売も含め社会は相手をビビらすことで成り立っている。自分と相手を正面から見つめることと代理経験を積むことで、状況を的確に捉えられるようにする。

 

3.飾らないについて

飾らないためには、飾る必要のない軸を自分の中に作ることが重要だ。

結局、飾らない力を得るには、自分が何者であるかを明確にすることに尽きると思います。人間としての根っこがどこにあるのか、国や民族、故郷や家族、信条や哲学・・・。あなたにはその軸がありますか?軸がはっきりしているからこそ、虚と実の間でどんなに揺れ動いても、飾らない自己、飾らない関係を作ることができる。(p.100)

 

 

4.侮らないについて

侮りに気づくためにノートをつける。批判されても感情的になって終わるのではなく、冷静になって分析すること。自分が陥りそうな心の状態、慢心・油断などを挙げる。時間をとって自分を見つめることが、侮りを発見する為の方法。もう1つの方法は「畏れ」の心を取り戻すこと。「畏れ」は「侮り」の対極。「侮り」は人と性と認め、対極にある「畏れ」の感覚を意識的に持つことでバランスを取る。

 

5.断らないについて

仕事に関しても人間関係も基本のスタンスとしては断らない。「断らない力」というのはすなわち「受け入れる力」とも言える。特に若いうちは仕事も断らず、何でもこなして力をつけるべき。人間関係でも断らずに、キャパを広げ、他人との差異を楽しめるようになること。

 

6.お金に振り回されないについて

資本の力が意味することを理解しておく。それはすべてを商品化する力である。自分自身が労働市場においてコモディティに堕ちないようにキャリアを積む必要がある。またお金というのは「限界効用が低減しない」一種の麻薬的な要素を含んでいる。資本主義社会が人々の欲望と幻想をかき立て煽ることで消費を促すことで成り立っているということを頭の片隅に入れとくべきだ。

 

7.あきらめないについて

「あきらめない」と言うことが目的論的なものであるなら、そこには必ず完成形つまり終わり解明されていなければならない」(186ページ)

英語のendと言う言葉には「終わり」と「目的」の2つの意味がある。目標立てるときは必ず両方のendを明確にして、ノートに書き出して進捗を可視化するのが良い。

 

8.先送りしない

決断するのは怖いと言うのは人間の本性。だからこそその上で先送りするリスクをきちんと冷静かつ合理的に判断することが大切だ。



まとめ

人に強くなる極意は、まずは自分を制することだということだった。自分をコントロール出来なければ、周りをコントロールすることは出来ない。自己認識力(self-awareness)を高めることがその第一歩目だ。具体的な方策としては、以下の2つだ。

①代理経験を積む(色々な立場から物事を見れるようになるため)

②自省ノートをつける(思考を可視化するため)

そして自己認識力を高めていけば、軸が出来、飾る必要のない自分になる。結果として、「人に強くなる」という事につながる。

【読書感想】「仕事ができる」とはどういうことか?

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どういう本か?

本書は楠木建氏と山口周氏の対談本であり、「仕事が出来る」為の条件である「センス」について語っている。「センスとは何で、何でないかについて」「仕事ができる人はどういう人で、仕事が出来ない人はどういう人か」著者の経験に基づいた実例を挙げていくことによって、手に取りにくい「センス」分かりにくいものの輪郭をはっきりさせて行く。「仕事ができる」為に必要な「センス」を身に着ける具体的な方法は書いてないが、その代わりに「センス」に関しての具体例は豊富で面白く、それを身に着けるためのヒントは沢山あった。センスに対立する概念としてスキルという言葉を用いているが、両者にはその2つに優劣を付ける意図はなく、共に重要にも関わらず、時代錯誤的にスキル獲得に傾倒し、センスが過小評価されている昨今の状況に警鐘を鳴らす。

 

センスの相対的重要性が高まってきている理由

・問題が「量的問題」から「質的問題」にシフトした。

・ものごとの価値が「役に立つ」から「意味がある」にシフトした。

・問題が希少で、正解が過剰な時代になりつつあること。

・スキルのコモディティ化

 

センスがある人

・活動が全体のどこに位置づけられるかを常に意識している

・価値基準を内在的に持っている

インサイド・アウト

・目的に沿って必要な知識を習得する

 

センスがない人

・活動が局所化・部分化する傾向にある

・価値判断を外部に求める

・アウトサイド・イン

・知識の不良在庫が多い 

 

感想

本書を読んだ上で、僕が思う仕事が出来る人の特徴は、単にアウトプットするだけではなく、目的をしっかりと理解しそれに沿ったアウトプットが出来る人だと思う。スキルというのは目的を達成する手段でしかないから、本来スキルの習得が目的にはなりえない。本書において楠木氏が「プロキシ」とよんでいるが、スキルの習得自体が目的になってしまう引掛けが世の中には沢山存在する。それに惑わされること無く、常に目的を意識したスキルアップが重要だ。「センスorスキル」ではなく、「センス×スキル=仕事が出来る」という等式になるだろう。仕事が出来る人になるために僕がまず出来ることは「目的を徹底的に意識する」ことであり、明日から実践していきたいと思う。

バスケの審判と会計監査の共通点

日曜日と建国記念日千代田区のバスケの試合があったので、両方審判をやる機会に恵まれた。自分の試合にほぼフル出場した後で体力的には少し厳しいが、審判をやることが一番の成長の糧となるので、それを逃したくない。毎試合、成長しているという実感はあるし、なんとなく自分の試合においてもポイントガードとして以前より周りが見えるようになったような気がする。審判は自分の試合と違って試合中に気を抜けるタイミングはほぼ無く、常にコート上のプレイヤーの動きに集中していないといけない。だからこそ、自分の試合のほうが余裕があるように感じるのだ。故に、審判をやることでコートビジョンが広がるのは自然なことかもしれない。中高生を教えている人は、優秀な選手にこそ審判を経験させるのは良いアイディアだと思う。コートの見方が、プレイヤーのそれと全く違うからだ。

 

ところで、2試合の審判を経験して気づいたことがあった。今の仕事は前の記事にも書いた通り会計監査なのだが、監査業務における根幹にあるリスクアプローチという考え方が、バスケの審判に応用できるということを知った。リスクアプローチは「不正・誤謬のリスクが高いところから確認していきましょう」というやり方で、クライアン卜の全ての取引における妥当性を抑えることは不可能であるという「監査の限界」に基づいている。具体的にいうと、売上・売掛金棚卸資産ビッグスリーは特に重要で、利益に大きく影響し、かつ不正の対象になりやすい勘定科目であるから、監査法人はその取引フローや妥当性について特に厳しいチェックを行うのだ。

 

一方バスケにおいては、2人の審判が10人の全ての動きを同時に把握するのは難しい。よって、「監査の限界」ならぬ「審判の限界」という前提に拠って立つべきだと考えられる。その上で、どこで不正(ファール)が起こりやすいのかを見定め(例えばゴール下やシュート前)、全体の状況を把握しながら、そのプレーにしっかりと注意を向ける。この割切りをしなければ、適切な笛を吹くことはまず無理だろう。そしてこの「どこが重要か」を見分けるトップダウンのアプローチを行う為には知識だけでなく、経験が必要になってくる。

 

「認知の限界を知った上で、勇気を持って割りきって、重要な部分に集中する。」これが会計監査とバスケの審判の共通項である。こういう共通項を見いだせるとなんかすごく嬉しい。会計監査の勉強は楽しいとは思わないけれど、こういう発見の為にもっと勉強するのもアリかななんて思う。全てバスケの為だけど。

バスケの審判技術を上達させるために

先々週に引き続き、先週末もバスケの審判をやった。以前もバスケの審判が難しいということを書いたが、先週は更にその難しさを痛感した。先週審判をしたチームは、先々週のチームより遥かにレベルが高く、インサイドでの接触が非常に多い上にゲームのスピードも速かったため、攻守の切り替えの場面ではほぼ全力疾走が求められた。3X3のプロ選手や元Bリーグの選手がいたと後ほど聞いたが、このレベルになると今の僕のレベルでは荷が重たすぎた。とはいえ、そのくらいのレベルの試合を吹くことが出来なければ、審判に挑戦する意味はないと思っているから、これから努力を積み重ねて、上達していかないといけない。「ローマは一日にしてならず」毎日の小さな積み重ねによってでしか成長はできない。というわけで、審判として成長していく方法について、ここに記載しておきたい。

 

 

できる限り多くの試合を経験する

当たり前のことではあるが、数多くのゲームを経験することが重要だ。だからこそ、チャンスがあれば審判をやること。どのレベルの試合でも問題ない。基本的には審判は誰もやりたがらないからこそ、やる価値はある。多くのバスケットボーラーは試合で文句を言うくせに、自分で審判をやろうとしない。嫌われ者の審判を名乗り出ることは、そんなに難しくないはず。とりあえず手を挙げて、沢山の試合を吹くこと。(今年だけで25試合が最低ライン)

 

沢山の事例を見る

ここで言う事例というのは、ゲーム中に起こるファールのことだ。100%同じ動き、接触は存在しないが、似たようなことは度々起こる。試合を沢山見て細かく観察することで、どのような場面でファールが起こりやすいか、どういう形で接触が起こるかを感覚として頭に刻み込むことが出来るだろう。もし1万回くらいファールの事例を見れば、基準というものが掴めてくると思っている。これは素振りやシューティングと同じで、とにかく数をこなすこと。NBAが基準となって国際ルールも変わる流れがあるから、基本的にはNBAの試合を見るのが良いと思う。NBAは以前から見ているが、審判を学ぶ上では違った視点が求められる。沢山の試合を見ることは沢山の試合の審判を経験することと同じくらい重要だ。

 

基本的なルールや考え方をマスターする

ルールブック等をしっかりと読んで、頭でルールを理解すること。具体的な事例と、そのベースにある考え方を結びつけること。具体的に言うと審判がそのジャッジへの説明を求められらたときに参照する基本ルールをマスターするということだ。法律家が六法全書の内容を正しく理解しているように、バスケットボールの審判はバスケットボールのルールを完璧にマスターしていなくてはならないのは言うまでもない。そうすることで、それぞれの具体的な場面に対して、そのジャッジをした理由をきちんと腹落ちさせることができるし、コーチや選手に対して説明責任を求められる際にも、根拠を示すことが出来る。バスケだけでなくルールがありきで成立している物事全てに同じことが言えるが、一瞬の判断が求められるスポーツの審判にとっては、自分の本能であるかのように基本的なルールをマスターする必要がある。

 

以上の3つがバスケットボールの審判として成長していく為にやるべきことだと思う。結局、仕事の為の勉強とほとんど同じであることが分かる。また、仕事や資格の勉強をしながらバスケの審判もするわけだから、時間の確保が最重要な課題になる。