MORE THAN BASKETBALL

全ての道はバスケに通ず

Identity Capitalについて考える。

今回はIdentity Capitalという言葉について考えてみたいと思う。Identity Capitalは心理学教授でセラピストのMeg Jay氏の著書、Defining Decade(邦題「20代が人生を決める」)という本から得た言葉です。これを自分のことに当てはめて考えることで、自分のことをよりよく知り、今後どう生きていくかを決める上で大きなヒントを得ることが出来ると思う。

Identity Capitalとは

Identity Capitalとは「自分自身の中にある資産」であり、「大人の社会の中で仕事や得たり人間関係を作るために必要なもの」だそうです。Identity Capitalは「ある」か「ない」かという類ものではなく、誰しもが持っている人としての特徴なども含まれる。もちろんレジュメに書くことの出来る資格だったり、仕事での経験も該当する。特に20代では、自分自身の中にあるIdentity Capitalに投資して大きくしていかないといけないと彼女は言っている。まさに20代を生きている私にとっては、この言葉は強く響いた。なぜなら「自分のIdentity Capitalはなにか?」と自分自身に問いかけた時、20年間続けているバスケットボール以外に何が該当するのか、自分の中で明確に答えを出せるかに自信を持てなかったからだ。もし他にCapitalがあったとしても、それはこれから自分の求める仕事と繋いでくれたり、人間関係を構築するのに役に立つのか。このような疑問と不安が湧き上がってきた。

「バスケが出来る」というIdentity Capitalを分析する

そこでバスケットボールがIdentity Capitalとして、自分自身の中でどのような役割を果たしてきたかをまず考えてみたい。私はバスケを小学校1年生から始めて、高校では特待生で全国大会に出場するくらいのチームに入学し、1年からメンバー入りして、3年次はレギュラーだった。落選したものの、スラムダンク奨学金の最終選考まで行ったから、プロには遠く届かないが、それなりのレベルだったと思う。高校まではこの「バスケが出来る」ということが、当時の私にとってIdentity Capitalの最も重要な部分であり、バスケによって自分自身が作られていたと言っても過言ではない。その分、毎日一生懸命練習していたし、そのことに誇りを持っていた。これは大学に入ってからアメリカに留学したときに、本当に役に立ったCapitalだった。「バスケが出来る」ことで、地元クラブチームでプレーし、試合で貢献することで、チームメイトやコーチと良い関係を築くことが出来た。バスケがなかったら私の留学生活は(お金もなかったので)面白くなかったはずだ。外国でホームと感じられ、いつか帰りたいと思える場所を作れたのは、紛れもなく「バスケが出来る」というCapitalのおかげであった。このIdentity Capitalは長年積み上げてきたものであり、振り返ってみると、それを元手として多くのものを手に入れてきた。 

これから築くIdentity Capital

「バスケが出来る」Identity Capitalはアメリカで人間関係を構築する上で大きく役になった。そして社会人の数年経験し、自分が望む仕事と自分を繋げる為のIdentity Capitalを作って行く必要があることを強く感じている。これは労働市場では専門性と言い換えることが出来るかもしれないし、組織やチームに貢献できる経験やスキルのことかもしれない。何をIdentity Capitalとして、世の中に自分自身を主張できるか。この答えを見いだせないまま30代を迎えることは、とても怖い。それを作っていく上の一歩目として「気づき」の部分が大事だと思う。今まで無意識にしていた行動を意識してみることや、一歩立ち止まって「なぜそれをしているのか」をしつこく考えることが自分のCapitalに気づくことのシンプルな方法だと思う。高校生・大学生ならともかく、私のような20代後半の社会人がIdentity Capitalを築く上で、今までの自分を無視して考えるのは得策ではないはず。自分がすでに持っているものに気づいた上で、それに一つずつ愚直に足していくことでIdentity Capitalが築かれて行くのだと確信している。そして、このブログで記事を書き続けることも、そのプロセスの1つだと思う。

Identity Capitalを考える上で気を付けるべきこと

こういうことを考える時、私はよく自分より経験も実力もある他人と比べてしまいがちである。例えば、英語はついて私は約8年間勉強を続けており、出来ると言って良いだろう。しかし、それを評価する時どうしても自分よりもっと経験があり得意な人のことを考えてしまい、自信をなくす。しかも今のSNS全盛時代、かつては知ることもなかった人達が情報発信を積極的に行っているから、よりそう感じやすくなってしまう傾向にある。それゆえ、考えるときは周りの人のことはひとまず横において、自分のことに集中することが必要だ。あくまで自分自身の基準で考えること。バスケの例で考えると、「バスケが出来る」ことは私のIdentity Capitalだが、これは決してバスケが一番上手いということを意味していない。Identity  Capitalを考える時、具体的には「クラス内で何が得意な方だったか」とか、スポーツをやってた人は「どんなプレーがチーム内で優れていたか」を考えるような感覚でいいのだと思う。

読書の仕方について考える

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好奇心が旺盛な人や勉強への意識が高い人は皆読書をしていると思う。私もその一人だと思うし、社会人になってから約3年間毎年50冊くらいは読んでいる。この数が多いか少ないかは誰と比較するかによるが、ここでは冊数は問題としない。今日のランチタイムにふと思いついた本の読み方を提案したい。

それは、「トピックを学ぶための読書」だ。

そんなの当たり前ではないかという人は多いだろうが、私はこれが出来ていないことに気づいた。3年間の読書を振り返ってみると、50冊の中でトピックがバラけすぎてしまっていて、何も定着しないまま右往左往しまっている。

それゆえ読書が仕事や日常生活で活きているかが、いまいち実感が沸かない。私は読んで面白かった本を他人に勧めたりするのだが、その際に上手く伝えることが出来ず、もどかしい思いをする。それに上手く伝えられないということで、その知識が自分のものになっていないということを思い知る。

経営者や社会的に地位や名声がある人の中には、多忙にも関わらずあらゆるジャンルの本を100冊以上読んでいる人もいたりする。しかし、それは今までの勉強量や人生の経験があるからこそ、スピーディにかつ的確に理解できるのであって、全ての人が出来るわけではない。社会に出て2〜3年足らずの私についても同様のことが言える。読書経験の浅い人にとっては乱読よりも、少ないトピックに絞って読んだほうが、より知識も付くし、自分の読書スタイルも確立していくことが出来る。

上記を踏まえて、今年は読書の方法を変えてみたいと思う。具体的には、

「トピックを10つ決めて、それぞれに関連する本を5冊ずつ読む」ことだ。

これは読書習慣がまだ見についていない人にも強くオススメする。新年の目標として、1年で50冊の本を読むという目標を立てた人は少なくないだろうし、もしかしたら何年も続けて同じことを言っている人と思う。読書の習慣が身につかない一つの理由として、基礎知識が全くない領域に手を出しすぎることがあると考える。そうなると理解するまでのハードルが高くなってしまい、結局きちんと理解出来ず、新品のままBookoffに持っていく羽目になってしまう。同じトピックに関する本は、必ず共通点がある。だから、自分が持っている知識をベースに次の本の知識を積み上げていくことが出来る。

「トピックを強く意識して本を読むこと」だ重要。

正直、読む冊数に意味は全くない。読書の先にある目的(そのトピックに付いて学ぶこと)をどれだけ強く意識するかが読書の価値を大きく変えてくれるのだ。

このやり方って本来は当たり前のことだと思うし、何当たり前のこと言ってるんだと思われるかもしれない。学校のカリキュラムも例外無くそのように組まれているはずだ。でもこれを実践している人は少ない。読書のやり方さえ身に着けることが出来れば、リカレント教育なんて言わずに、独学で必要なこと・学びたいことを身に着けることが出来るはずだ。そうなってくるとやはり重要なのは言語力や論理的思考能力という基礎に行き着いてしまう。バスケで言うとドリブル・パス・体力、コンピュータでいうとOSに当たる部分だ。それを鍛えるにも結局は、読書ということになるだろう。つまり読書を習慣化し、繰り返すことで知識も付くし、知識を付けるための基礎力も伸びていく。だからこそ、ウォーレン・バフェット氏が言うように「知識は指数関数的に伸びていく」のだろう。

その最初のステップとして、「トピックを選ぶこと」が重要だ。本を選ぶのはその次。

 

おわり

 

 

 

【読書感想】マーケティングを知っていますか

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本書はマーケティングを初めて学ぶ人のみならず、教科書・参考書でマーケティングを学んでいるものの、中々腑に落ちないと悩んでいる学生や社会人にうってつけの本である。

2000年に書かれた本で、インターネットやSNSマーケティングに関する記載はないため、最新のマーケティング理論を学びたいと考えている人には向いていないが、マーケティングの歴史やベースとなる哲学を深く掘り下げていく。

産業革命がもたらした流通革命、機械化によるブランドの誕生、それと同時に起こったメディアの発展が広告・マーケティングの起源であるとする。その後にアメリカで大きく発展したことについても、アメリカで生まれたプラグマティズムの考え方や、マーケティングを支える認知哲学を、経済学者でもあり宗教学でもある著者が、他の参考書ではあまり見ない観点から説明をする。

第一章では三共製薬の栄養ドリンク「リゲイン」の具体例を提示することで具体的な例を読者に意識させ、その後にマーケティングの理論や歴史について述べていく方法も分かりやすかった。

主体的な行動が”より”求められる時代

先日チーム内の若手向けに勉強会を開催した上司が言っていたことが気になったので、自分の考えをまとめておきたいと思う。この勉強会の参加者は1〜3年目の新卒入社社員、会計・ITなどの業務に関するバックグラウンドを持たずに入社した人たちだ。

その上司が言っていたことは以下である。

働き方改革等で残業が自分が若いときのようにできなくなって楽になるように見えるが、残業できないということは、上司・先輩に直接教えてもらう機会が減るということ。仕事における知識をつけていく上ではむしろ前の世代よりも大変になると捉えることも出来る。つまり残業をしないことによって空いた時間を各自がどう使うかが、中長期で見ると大きな差につながる。」

その上司の時代は自分が仕事が出来なくても、近くにいる先輩社員や上司に教えてもらったり手伝ってもらったりして、出来るまで付き合ってもらうことも出来たみたいだ。一方で今の弊社はフリーアドレスで直属の上司や先輩を見つけるのも難しいし、在宅勤務を推奨しているため、そもそもオフィスにいない可能性すらある。クライアントサービスということで、他社へ出向くことが多いため、オフィスへの時間が他の業種に比べて少ないというのもあるが、この上司が言う通り、以前と比較して大きく働き方が変わり、それに伴って他の社員との関わり方がというのは間違いないだろう。

上記のような変化に加えて、テクノロジーの進歩により若手社員に求められる役割が変わってきたことも、働き方に大きな影響を与えていると思う。特に私が働いている会計業界では特に言われていることだ。基本的に若手社員は高度な判断を伴わない単純な作業を求められることが多い。しかしこのような仕事は基本的にテクノロジーによって代替可能である場合が多い。人間は高度な判断を伴う業務を期待されるまでの期間が短くなる。テクノロジーの発展により既存の知識はこれまで以上に早いスピードで衰退し、新たな知識が求められるサイクルが早くなる。そういった環境の中で「どうやって新しいことを身に着けるか」ということがより重要になることは言うまでもない。「新いことを知り、それを仕事で活かせるまでに自分の中に落とし込むこと」が仕事で必要な勉強であると考えると、これをどれだけのスピードでこなせるかどうかが非常に重要だ。

働き方の変化及びテクノロジーの進歩により、より自発的に自分のキャリアを考え、そして自ら知識やスキルを身につけていくことが必要になった。新卒一括採用や終身雇用という20代の親世代では常識だったことは、近い将来非常識になるだろう。

私の上司は若手社員に自発的な勉強の重要性を説いたが、自発的に勉強したりキャリアを考えることは20代の社会人だけではなく、大学生や高校生にとってもとりわけ重要になると私は考える。新卒一括採用のようなシステムがなくなれば、採用されるためにもそれまでの自分と仕事が何らかの結びつきを見出さないといけないし、何が出来るかを具体的に示さないといけない。これからもっと厳しくなる中で、私自身は新卒一括採用最後の時代に大学を卒業したことはラッキーだったと思っている。大学時代の私は勉強こそ頑張っていたものの、「これからどうして行きたいか」「どういうキャリアを望むか」などについて、確信を持って他人に伝えることは出来なかった。約3年間社会人生活で、やっと方向性が見えてきた感じがする。親や上司や先輩は、社会人になってからこういうことに気づくのは当たり前と言うかもしれない。しかし今からの時代は皆が一斉に乗るレールがないから、早いうちから考えて具体的な行動を起こしていかないといけなくなるはずだ。選択肢も多くなる分、自分の意志を明確に示すこと。こういった主体性を持つことが大切だ。

まとめると、外部環境の変化(働き方改革、テクノロジー、労働慣行の変化)によってレールがなくなり、個人による選択の余地が増える。だからこそ、キャリアを考える上でもや知識やスキルを身に着ける上でも、個人は主体的に行動していく必要がある。そして、早いうちからこのような行動が求められるようになる、ということだ。

 

おわり

 

 

最初のエントリ

Hello.

2020年は、文章を書けるようになりたいと思い、この最初のエントリを書くに至った。まだ1つ目のエントリなので、「ブログはじめました!」とかは恥ずかしいから言いたくない。100エントリくらいかけたらコッソリこのエントリを修正するかもしれない。

昨年、一昨年で本(和書・洋書)を読む習慣を身に着けることが出来た。しかし、本を読んで分かった気になっても、時と共に忘れてしまい、結局は頭の中から消えてしまうことも多い。本を読んだとしても、その知識を使うことが出来なければ、意味がないとまでは言わないが、非常にもったいない。だからこそ、覚えておきたいことは自分の言葉にして残したい。

本の備忘録以外にも、日記も書き残したい。今年の12月にエントリを読み返す時に、様々な感情が蘇ってきたら嬉しい。また、写真と違って文章は一度自分の頭の中を通過するから、文章を描くことで記憶としても残りやすくなるだろう。

僕は大学を卒業してから読み書きの重要性に気づいた。筆者が伝えようとしていることを的確に正しく読むこと、また自分の経験や考えを、誰にでも理解出来るシンプルでロジカルな形で他人に伝えること(話すことも含めて)は、たとえ母国語である日本語であるとしても難しい。

読み書きというのは全ての基礎になるから、常に鍛えておかなければ行けない能力でもあると思う。バスケットボールで例えると、ドリブルを突く強さやパスのスピードにあたる。3ポイントもちろん大事だけど、ドリブル・パスのような基礎が出来ていない場合、高いレベルになると他の全てのプレーで脆さが出てしまう。NBAのトップ選手でも基本のドリブルの練習を行っている。NBA選手のドリブルと同じように、学生・社会人の読み書きの「基礎」は、毎日鍛えるべき能力なのだ。

今年は今まで通り本を読みつつ、そこでの気づきや得た知識などを自分の言葉で表現出来るようになりたい。このブログは、いつも僕の(どうでもよい)話を聞いてくれる横須賀在住のS.N君に対して書くことになる。彼は今年多くのライフイベントがあるから多忙になる。半分冗談ではあるが、これ以上迷惑をかけられない。

トートロジーにはなるが、「文章を書けるようには文章を書くしかない」というわけで、今年は文章を書く年にしたいと思う。

 

おわり